安政の頃より150余年続く、堀内水産の飯寿し
「後志国盛業図録(明治21年発行)より」
堀内水産の歴史 飯寿し(いずし)とは
堀内家は安政の頃に近江から松前(江差)に渡り、鰊漁の網元として八丸の屋号を用い、
鰊建網および廻船問屋を営んでおりました。
鰊漁の北上に従って当地(小樽市塩谷)に移り、以来約百年間に渡り鰊建網を業として参りました。
八丸の名は「鰊御殿」「忍路郡郷土誌」など、北海道鰊漁業の歴史に関する書籍にも記載されております。
代々伝わる飯寿しの味
早春の鰊(にしん)漁期に渡ってきた道南、東北各地方より漁夫(ヤン衆)の土地土地の食品、前浜で獲れる豊富な魚類、北国の寒冷な気候条件が融合し、味、栄養および保存に優れた、飯寿しに代表される種々の食品が創られ、伝えられてきました。飯寿しのできるまではこちらをご覧ください